怒涛の港北編① IKEAのころのお話 2009〜2014
<ブログ著者 前澤和宏について>
皆さん、初めまして。株式会社マエザワ(店舗名ピオン)の3代目後継者の前澤和宏と申します。世界一楽しい空間を作るのが夢でそれを実現させるため静岡の家業に入社しました。ピオンが皆さんにとって地域のディズニーランドになりたいと思って頑張っています。会社経営をしたり、You Tuberをやったり、2児の父親だったり、ラッパーだったりします。このブログでは、僕の体験した事や感じた事を楽しくお伝えできればと思っています。宜しくお願いします。
1978.08.13生まれ
学歴 清水東高校卒・東京学芸大学卒・UC Berkeley Extension/Business Administration修了
職歴 Club Asia・For-side.com USA・For-side.com・TFMインタラクティブ・IKEA ジャパン
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僕が、新しい配属先IKEA鶴浜店ベッド売り場でめちゃくちゃ苦戦していた時のお話です。
ベッド売り場での半年間は結果的には何もうまくいきませんでした。
まず出だしが悪かった。僕は、ソファ売り場でやったことを、順序なしにいきなり、うまくいったところだけをそのまま導入しようとしていたのです。具体的には、接客優先の販売体制への変革、売れ筋商品の全面拡大の二つです。多分、この戦略は間違っていないと思っています。
ただ、やり方が完全に間違えていました。
最初っから、「接客、接客、接客」と言い過ぎたのです。当時のベッドチームの大切にしていたことは売り場のクリンネスでした。売り場は隅々まで綺麗で、みんな一生懸命掃除をしていました。そこに、僕が入り、掃除よりも接客と力一杯方向転換をいきなりしたのです。おそらく、今までやってきたことを全否定されたと感じた方もいらっしゃったでしょう。そんなマイナスの入り方をしたので、数字も上がらず、信頼関係を構築するのにとても時間がかかっていました。調子に乗って、焦りすぎていたんでしょうね。。。。
そんな時に、鶴浜の店長Hさんの横浜の港北店の店長に異動が決まりました。副店長のドミは新店舗新宮(福岡、博多)の店長に異動が決まりました。実は、その時、僕は博多に住んでみたいなーと思っていました。
そしたら、ある日店長のHさんに呼ばれました。
こうやって普段話していない上司から急に呼ばれる時の話しは決まっています。
①昇格
②良い意味での異動
のどちらかです。降格でしたら、直属の上司から前もって何かしらのシグナルがでますし、そこにはトップはあまり関与しません。誰でも、嬉しい相談をしたいのですから。
僕は
「え、なんですか?どうしたんですか?怖い怖い」
とわざとらしくいって、朝会議室に呼ばれました。
「カズに港北のセールスマネージャーになって欲しいと思うんだけど興味ある?」
と言われました。
本当に、絶句しました。言葉がでなかった。
なぜかと言いますと、セールスマネージャーというポジションは、お店の販売部門のトップなのです。会社でいうと部長職です。僕の役職の次のステップは、デュプティセールスマネージャーと言って副部長になって、部長になるのが通常なのです。
しかも港北店。。。港北店は、日本で2番目にオープンしたお店で、当時すでにオープンして5年立っていました。売上も、鶴浜店の1.5倍。部下になる各売り場のマネージャーたちは、みんな僕より年上のキャリアも長い方々ばかりなのを僕は知っていました。
Hさんに呼ばれるとなると「港北かー」となんとなく察しがついていたものの、せいぜい副部長だと思っていたので、びっくりしました。そして、悩みました。
なぜなら、僕は、IKEAに入社する前に、父と5年間勤務してその後家業に入ると約束していたのです。それまでは、いろんな売り場を経験して、商品知識をいっぱいつけようと思っていました。あんまり出世は望まず、のびのびやろうと決めていたのです。
でも、もう一つ、考えていたことがありました。それは、その5年以内になんかしらの巡り合わせで店長になったら、そのままIKEAに残ろうとも思っていました。
なので、この返事は、僕が最初に考えていた2択のどちらかを選ぶ分かれ道だったのです。そして、僕は、後者の選択肢、「5年以内に店長になる道」を選びました。IKEAに入社して、わずか2年で現場から離れる道を選択したのです。
理由は、
① せっかくの話をもらったのにそれを断ったら次がないし、嫌われるかもしれない。
② 僕の実家も静岡、妻の実家も茨城県、関東に戻った方が生活が楽になる。
③ お給料も上がると思う。
そんな感じです。
僕にとって港北店とは、雲の上の存在で、とても「よーし、俺が港北に言って、革命を起こすぞー」なんて大逸れたことを思うことすらできませんでした。いつものBig mouseが出てこないぐらい縮こまってましたが、ほんの少しの興味と嫌われたくない一心で決めたのです。
そして、この選択が、大好きだったIKEAの退職を決意する間接的な理由にもなりましたし、5年の約束だった期間を8年半に伸ばしたきっかけにもなります。
当時ハマっていた細木数子の占いでは、大殺界でした。中でも1番悪い「停止の年」に動いたのです。
本当に八方塞がりな状態でした。
時間になりましたのでこの辺で。
(写真はリニューアル後のピオン清水店です。)