IKEAにいた時の話① 2006年〜

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<ブログ著者 前澤和宏について>

皆さん、初めまして。株式会社マエザワの3代目後継者の前澤和宏と申します。世界一楽しい空間を作るのが夢でそれを実現させるため静岡の家業に入社しました。ピオンが皆さんにとって地域のディズニーランドになりたいと思って頑張っています。会社経営をしたり、You Tuberをやったり、2児の父親だったり、ラッパーだったりします。このブログでは、僕の体験した事や感じた事を楽しくお伝えできればと思っています。宜しくお願いします。

1978.08.13生まれ

学歴 清水東高校卒・東京学芸大学卒・UC Berkeley Extension/Business Administration修了

職歴 Club Asia・For-side.com USA・For-side.com・TFMインタラクティブ・IKEA ジャパン

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株式会社マエザワ(家業)に入る前は、僕はIKEAジャパンで働いていました。

Facebookの投稿ではイケア時代の日記がなかったので、改めて書きます。まぁ、過去は美化されるので話半分で聞いてください笑

僕はIKEAが大好きでした。IKEAで働いている8年半、辛い時もあったけど、本当に大好きな会社でした。

23歳の時、アメリカに留学し、サンフランシスコの近くのエメリービルという地域でIKEAと初めて出会いました。人を楽しませる仕事に着きたい、何か大きなエンターテイメントビジネスはないかと探していた僕は、初めてIKEAのお店に入り、「これぞ!エンターテイメントだ!」と心から感動しました。

そして、なんとかここで働きたいと、アメリカで働く資格を得るために現地の学校(UCバークレーエクステンション、夜間短期コース)を終了し、1年間の働く資格を得て、アメリカ中のIKEAに自分の履歴書を送りました。

しかし、結果は鳴かず飛ばず、面接までこぎつけたのはたったの2回、それ以外は、返事も何もありませんでした。その2回の面接の返答もなく。。。。でもせっかくアメリカ働く資格を得たので、クヨクヨしている暇はありませんでした。そこで、ニューヨークで、アメリカ市場に参入したばかりのIT系の日本のベンチャー企業で働きました。(この話は、また今度させてください!)

その会社でアメリカ支社、日本本社、そして、他のIT企業にヘッドハンティングされ、合計IT業界を4年間ほど働いた後に、IKEAジャパンへ転職することが出来ました!

大阪の鶴浜店の現地採用でした!

ずーっと入りたかった会社だったため、とても嬉しかったのを今でも覚えています。

その時は、東京の池袋に住んでいました。彼女がいました。関西のイケアの転職が決まり、一緒に関西に行くと言ってくれて、結婚しました。転職と結婚、引越しが同じタイミングでめちゃくちゃな忙しい日々でした。そして、子供が授かりました。

2月の真冬の時期で、妻は実家にのこり、まずは僕が先に関西に行き、住む家を探し、生活を安定させてから、妻を呼ぶことになりました。現地採用なので、現地まで自費で来い、もちろん住む家も自費ということで、お金もなかったため、夜行バスで行きました。バスに乗る直前まで、大学のアメフト部の同期のみんなが送別会をやってくれて、酔っぱらったままバスに乗りました。みんなが出発までバスの前に並んでくれてとても嬉しかった。

大阪の梅田についたら、まずは家探しです。

鶴浜店に近い大正区を中心に探しました。子育てがしやすいところはどこかな?ミナミの方かなー?と土地勘も全くなかったし、二日酔い、かつ、夜行バスの疲れて意識が朦朧としながら大正区内を1日中物件探しをしていたのを覚えています。

夜になり、ウィークリーマンションの鍵をもらい、西宮夙川駅へ。なぜ、西宮のウィークリーマンションにしばらく住むと決めたかというと、まだ、IKEA鶴浜(大阪)はオープンしていなかったため、IKEA神戸オープニングの手伝いをすることになっており、しばらくは神戸と大阪の中間地点の、西宮のウィークリーマンションに住むことにしていました。

そして、駅についた瞬間、「この西宮に家族で住もう」と決めました。雰囲気がとてもよく、ここで子育てをしたい!新しい生活をスタートしたい!と直感で思いました。

これが、壮大で、あっという間に過ぎた、IKEAコーワーカー(IKEAでは、従業員のことをコーワーカーと呼びます)キャリアのスタートでした。

続く

(写真は、内定者研修で内定者社員とIKEA長久手店に行った写真です)