エピローグ 横浜最後の日
IKEAにいた頃の話は完結したのですが、エピローグとして、家族の話をさせて頂きます。
横浜では、港北ニュータウンというところに住んでいました。
約20年ぐらい前に、山を切り開いてできた新興住宅地で、周りには子育て世代の家族が集まっていました。
娘が1歳の時に引越し、息子が横浜で生まれました。娘は西宮、息子は横浜と西と東の良い土地でそれぞれ二人とも生まれています笑
住んでいた家は、賃貸テラスと言う物件で、一つの建物の中に玄関は分かれていて、何家族か住んでおり、大抵の場合は2階建の間取りの物件です。
我が家の賃貸テラスには、4家族住んでおり、みんな子供の年齢はほぼ一緒でした。
ご近所も2〜3歳のこどもたちばかりで、車がほとんど通らない住宅地の中に住んでいたので。子供たちはいっぱい外で遊んでいました。昭和の団地のような感じの場所でした。
公園もいっぱいあり、子育てには最高の場所でした。
横浜最終日は、本当に多くの子供たちと妻のママ友が見送りに来てくれました。
30人ぐらいいたと思います。
それをみて、小学校に上がったばかりの娘は泣いていました。
2歳になったばかりの息子は、「吾郎、いつまでも忘れない」と、はっきりと発音して話しました。どこでそんな言葉覚えたんだろう。。。
妻も本当に横浜の生活頑張って来れたんだなあと感謝しました。
IKEAで頑張ったのは自分だけではなく、西宮、横浜と見知らぬ土地で、僕が仕事の間、ご近所付き合い、子育て、幼稚園のイベントや送り迎えなど、文字通り必死に頑張ってくれていた妻がいてくれたからこそのものでした。
僕が仕事を頑張れているのは、妻が家庭を守ってくれているからです。
普段はいろいろと言われるけれども、いざ、僕が決断する時は、黙ってついて来てくれる妻に大変感謝をしております。
これからも、宜しくお願い致します。
(写真は横浜北部病院で生まれたばかりの長男の写真)