怒涛の港北編④ IKEAにいた頃の話
先日友達より「ブログで気軽に毎日読めるのは1000字ぐらいが適度」とアドバイスを頂いたのでその適度にしていきたいと思います!!今までは、3000字ぐらいでした!
これから連続回数が長くなるか、端折り出すかもしれません!
それでは、怒涛の港北編の続きをいって参りましょう!!
③約束の5年を迎える
I K E Aに入社した時の父との約束。5年働いたら家業に入るという期限がありました。そして、僕もそのつもりで全力で学びました。でも、もう一つ自分の中の隠れプロジェクト。5年以内に店長になったら、このままI K E Aにいようとも思っていました。
そして、5年目を迎えました。
結果、そのどちらでもありませんでした。
その時は、めちゃくちゃ挫折してました。
上からも見放され、下からも認められず、自分にも自信がない。誰もついて来ない。一人をいっぱい感じていました。
よく、「上司はお給料を人より多くもらっているから、こういう思いをするのは仕方がない」という声を聞きます。確かにそうです。でも、当の本人は本当に辛いのです。お給料は、正直なところ、ヒラでも、係長でも、課長でも、部長でも、額面では少し変われど、体感する部分ではそれほど変わらないと思います。
きっと、所得税がそうさせていると思います。
役職が上がり給料が上がった初年度は結構バブルです。が、2年目は1年目の上がった分の所得税が発生し、普通の生活になります。しかも、初年度にバブルになっているので生活のレベルが少し上がっているため、2年目はとても辛いのです。。。
話がそれました。
僕は、この最後の5年目をどう過ごすが考えました。
今すぐにでも辞めたかったのですが、ここで失敗のまま、家業に戻るわけには絶対にいきませんでした。今このまま、この状態で逃げたら、今後の人生はもっと辛いものになるだろうと思ったのです。
正直、見返したいという気持ちもありました。僕が辞める時に、I K E Aの上層部に後悔をさせたい。というドス黒い気持ちもありました。よくない考えです。。。
そして、決めたことは3つです。
- セールスマネージャーを辞める
- 人の成長に力を入れる
- I K E Aにいる期間をあと2年延ばす
順番に説明していきたいのですが、文字数が到達しましたので、この辺で。
(写真は深夜の清水港の写真)
<ブログ著者 前澤和宏について>
皆さん、初めまして。株式会社マエザワ(店舗名ピオン)の3代目後継者の前澤和宏と申します。世界一楽しい空間を作るのが夢でそれを実現させるため静岡の家業に入社しました。ピオンが皆さんにとって地域のディズニーランドになりたいと思って頑張っています。会社経営をしたり、You Tuberをやったり、2児の父親だったり、ラッパーだったりします。このブログでは、僕の体験した事や感じた事を楽しくお伝えできればと思っています。宜しくお願いします。
1978.08.13生まれ
学歴 清水東高校卒・東京学芸大学卒・UC Berkeley Extension/Business Administration修了
職歴 Club Asia・For-side.com USA・For-side.com・TFMインタラクティブ・IKEA ジャパン
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